もってぃーです。
今回は、私が明日3月17日に短期大学を卒業するので、前日に思ったことを書くだけの記事になっています。
(昨日書くつもりが、結局3月17日になってしまいましたが(汗)
[3月16日]学生を卒業する前日
卒業する前日に思ったこと
いつもどおりの生活で、変わったことなどなく、明日卒業でも、終わりか・・・と感情が大きく動いた訳でもなく、ただそう思っただけでした。
幼稚園から高校までの間で卒業するのは、今回で5回目です。
そして、4回あった卒業の前日を振り返ってみても、喜びや悲しみ、達成感など一度も浮かんでは来ませんでした。
あるのはただ、終わりか・・・ぐらいです。
4回までの卒業は、学校という学ぶ場所で「学生」という立場は変化することはありません。
しかし、5回目の卒業は、「学生」ではなく「社会人」になることを意味しています。
文字通り、最後になるわけですから、少しは周りのように、心から喜んだり、泣いたりできるかなと思っていました。
・・・結果から言うと、特に思うことはなかったです。
このまま、明日卒業して、「学生」から「社会人」に立場と場所が変わるだけで、
同じように次へ進んでいくのかと考えました。
・・・そんな考えが夕方に変化したのです。
夕方におじいちゃんから、電話が掛かってきました。
卒業おめでとう。
よく頑張った。
よかった、よかった。
と何度も言ってくれたのです。
その一本の電話で、浮かばないだろうと思っていた、心からの喜びと少しの涙が浮かんできました。
これだけだと、過去の4回も同じように言われていたので、
あなたもなぜ、おじいちゃんの電話で変わるの?と疑問に思うのではないでしょうか。
では、なぜ一本の電話で変わったをお話していきますね。
気持ちが変わった理由
おじいちゃんが、2月20日の朝突然、脳梗塞になりました。
2月19日・・・前日は、いつもと同じように生活をして、初期症状など現れてはいなかったのです。
しかし、それは表面上のことだけで、体の内側は限界ぎりぎりだったのでしょう。
おじいちゃんは、糖尿病で、血管が弱っているので、ほぼ毎年、正月から3月までの間に、
糖尿病か、ストレス・疲労・睡眠不足が酷いと起こるメニエルで、病院に運ばれます。
おじいちゃんが倒れたとき、私はまた糖尿病かメニエルで倒れたのかなーと気楽に思っていました。
なぜなら、どちらも病院で数時間点滴したり、治療するだけで治まるからです。
しかし、糖尿病やメニエルのどちらでもなく、脳梗塞でした・・・・。
脳梗塞
症状としては、
・呂律が回らなくなり、はっきりと言葉を話すができなくなる言語障害
・のどの神経が、2本ある内に普通は一本まひするぐらいで済み、食事はできる
が一般的な脳梗塞です。
・・・おじいちゃんは2本ともまひしていました。
それにより、言語障害で言葉が上手く話せなくなり、さらに2本ともまひしているため、食事ができません。
そのため、お腹に小さな穴を開け、そこから胃に直接栄養を入れる「胃ろう」の手術をしました。
・・・脳梗塞を治す手術は、脳の深い所で脳梗塞が起こっていたので、無理と言われたのです。
そんなおじいちゃんの見舞いに、ほぼ毎日行き、治るように応援していました。
おじいちゃんは、始めもう終わりだ・・・と暗い表情でしたが、応援していく内に、何とか治そうと頑張り始めたのです。
頑張っていく内に、電話では、聞き取りづらいですが、直接会って話すと、
言葉が聞き取りやすくなるぐらい呂律が回り始めました。
少しずつですが、回復しているので、私としても良い方向に、向かっていると思います。
電話では、言葉が聞き取りづらかったおじいちゃん
そんな電話では言葉が聞き取りづらかった、
おじいちゃんが3月16日卒業前日の夕方に掛けた電話は、まるで、
元の言葉をはっきり話すおじいちゃんに戻ったかと考えるほど、聞き取りやすい言葉で、
卒業おめでとう。
よく頑張った。
よかった、よかった。
と何度も言ってくれました。
それを聞いて思わず、
浮かばないだろうと思っていた、心からの喜びと少しの涙が浮かんできたのです。